旦の原の井戸
史跡歴史
唐津街道(からつかいどう)沿いの丘陵地で水に乏しかったこの地に、旅人や住民のために地元の人々の手で掘られた井戸です。二つの郡・四つの村にまたがる場所にあったことから「二郡四ヶ村井戸ひとつ」と呼ばれました。
この史跡について
文久2年(1862年)秋から翌年秋にかけて掘られた井戸で、参勤交代にも使われた唐津街道の丘陵地にあり、旅人や住民の貴重な水源となっていました。旧糟屋郡(かすやぐん)と宗像郡(むなかたぐん)の郡境にあたり、筵内村・薦野村(こものむら)・内殿村(うちどのむら)・上西郷村(かみさいごうむら)の4か村にまたがっていたことから「二郡四ヶ村井戸ひとつ」と呼ばれるようになりました。井戸の掘削は地元の伊東忠平(いとう ちゅうへい)が大庄屋(おおじょうや)の石松林平(いしまつ りんぺい)に願い出て実現したもので、そばには明治34年に建てられた伊東忠平の顕彰碑(けんしょうひ)も残っています。県道の拡幅工事にともない昭和61年と平成21年の2度移転し、現在の場所に至っています。
- 文久2〜3年(1862〜1863)に地元の願い出で掘られた井戸
- 唐津街道の丘陵地で水に困っていた旅人・住民の水源に
- 旧糟屋郡・宗像郡の4か村にまたがり「二郡四ヶ村井戸ひとつ」と呼ばれた
- そばに発起人・伊東忠平をたたえる明治34年建立の碑が残る
- 道路拡幅にともない2度移転(昭和61年・平成21年)し現在地へ
史跡データ
区分古賀市指定外文化財
時代文久2年(1862年)秋に掘削開始〜文久3年(1863年)秋に完成
名前の由来糟屋郡・宗像郡の郡境、筵内村・薦野村・内殿村・上西郷村の4か村にまたがることから「二郡四ヶ村井戸ひとつ」
関連の碑伊東忠平祐義碑(明治34年建立)
唐津街道の宿場町・青柳宿や、周辺の史跡とあわせて訪ねると、街道の歴史をより身近に感じられます。
