薦野増時の墓
指定外文化財歴史
戦国の名将・立花宗茂(たちばな むねしげ)を世に送り出した名家老。主君・立花道雪(どうせつ)からの家督継承を固辞し、若き宗茂を後継に押し上げた——古賀が生んだ「見出す側」の武将、薦野増時(こもの ますとき)が眠ります。
この史跡について
薦野増時は、戦国大名・立花家(立花道雪から立花宗茂へ)に仕えた家老級の重臣です。同じ古賀市域出身の重臣・米多比鎮久(ねたび しげひさ)と並ぶ地元の二大重臣で、古賀市の歴史広報でも二人そろって紹介されています。天文12年(1543)に生まれ、元和9年(1623)に81歳で亡くなりました。その墓は分骨され、本墓が古賀市薦野の小松ヶ丘に、分骨墓が立花道雪の眠る新宮町・梅岳寺にあります。
- 立花道雪からの家督継承を固辞し、若き立花宗茂を後継に押し上げた名家老
- 米多比鎮久と並ぶ、古賀市域が生んだ立花家の二大重臣
- 立花家への長年の忠義から「立花」姓を許された
- 中央に増時、左に信解院(宗茂の姉)、右に重昌の墓が並ぶ墓域
- 立花道雪が眠る新宮町・梅岳寺に分骨墓がある
史跡データ
区分指定外文化財
時代戦国〜江戸前期
人物薦野増時(1543〜1623)
所在地古賀市薦野 小松ヶ丘(旧薦野城域)
ゆかり立花道雪・立花宗茂に仕えた重臣
この史跡の意義
薦野増時は、名将・立花宗茂を世に送り出した「見出す側」の家老として、古賀の郷土史を語るうえで欠かせない人物です。米多比鎮久とともに古賀市域が生んだ立花家の重臣であり、市の歴史広報でも顕彰されています。近年は感状や軍忠状などの一次史料にもとづく検証や、大河ドラマ招致の活動も進められています。
分骨墓のある梅岳寺は新宮町立花山にあり、立花道雪の墓所として知られます。問い合わせは古賀市立歴史資料館(092-944-6214)へ。
