鹿部山経塚
市指定文化財歴史
「仏の教えがいつか滅びる」と信じた平安の人々が、経典を未来へ遺そうと鹿部山の頂に埋めた——鹿部山経塚は、はるかな祈りを地中に託したタイムカプセルです。
この史跡について
鹿部山経塚(しかべやまきょうづか)は、平安時代後期の永久元年(1113年)につくられた銅製の経筒(きょうづつ)を納めた供養の跡です。経塚(きょうづか)とは、お経を土の中に埋めて後の世まで伝えようとした場所のことをいいます。昭和46年(1971年)に鹿部山の頂上付近で見つかり、翌年の団地造成にともなって本格的な発掘調査が行われました。これは古賀市で本格的な発掘調査が始まるきっかけともいわれています。
- 平安時代・永久元年(1113年)の年号を刻んだ銅製経筒が納められていた
- 経筒の銘文に「父々夫峰(ちちふのみね)」とあり、「鹿部」という地名の由来を伝える
- 青磁の合子(ごうす)や皿、鉄器などがともに出土した
- 昭和47年(1972年)の調査は、古賀市で本格的な発掘調査が始まるきっかけとなった
- 出土品は古賀市指定文化財として古賀市立歴史資料館に保管・展示されている
史跡データ
指定区分古賀市指定文化財(考古資料)「鹿部山経塚出土品」
指定年平成14年(2002年)12月10日
時代平安時代後期(1113年銘)
特徴銅製経筒を石の容器に納め、青磁の合子・皿・鉄器がともに出土
おもな出土品
銅製経筒お経を納めた銅の筒。外面に永久元年(1113年)の年号を含む銘文が刻まれている
石の外容器経筒を収めていた石製の容器
青磁の合子・皿経筒とともに納められた青磁のふたものや皿
鉄器経筒とともに出土した鉄の品
この史跡の意義
経筒に刻まれた「父々夫峰」の文字は、「鹿部(しかべ)」という地名の移り変わりを今に伝える貴重な文字資料です。青磁の合子や皿をともなう構成は、平安時代の経塚の典型的な姿を示しています。仏の教えを未来へ残そうとした平安の人々の祈りを伝える、古賀の歴史を語るうえで欠かせない史跡です。
鹿部山では、明治31年(1898年)に皇石宮(すめいしぐう)の工事で弥生時代の銅剣・銅戈も見つかっており、弥生から平安まで長く祈りがささげられた山として知られます。現在は「鹿部山公園」として整備され、山頂の展望台からは花鶴丘の町並みや海を見渡せます。
