青柳宿御茶屋跡
御茶屋跡歴史
唐津街道(からつかいどう)の宿場町・青柳宿に設けられた、参勤交代の大名たちが休み泊まった御茶屋(おちゃや)の跡地です。幕末には薩摩や佐賀の大名一行も、この地を通り立ち寄りました。
この史跡について
青柳宿御茶屋跡は、唐津街道の宿場町・青柳宿に設けられていた御茶屋の跡地です。御茶屋とは、参勤交代などで街道を行き来する大名(だいみょう)が休憩・宿泊するための施設のことです。青柳宿の御茶屋は慶長10年(1605年)、宿場の整備とともに設けられました。幕末には福岡藩や幕府の巡検使のほか、佐賀藩・薩摩藩の一行も参勤交代で利用しました。建物や遺構は今は残っていませんが、街道沿いの町並みを歩きながら跡地をたどることができます。
- 参勤交代の大名が休み泊まった御茶屋の跡地
- 幕末には薩摩・佐賀の大名一行も往来した唐津街道の要所
- 城戸家に伝わる市指定文化財「青柳宿の宿札」3枚(島津久光・黒田一美・鍋島閑叟の名が残る)
- 石積みが残る市指定文化財「青柳宿西構口跡」とあわせて宿場の面影をたどれる
- 建物は残らず、街道散策のなかで「跡地」としてたどる場所
史跡データ
区分未指定
時代江戸時代(慶長10年・1605年設置)
位置づけ青柳宿の御茶屋(大名の休泊施設)
この史跡の意義
参勤交代の大名を迎えた御茶屋は、唐津街道が九州の交通の大動脈であったことを今に伝えています。とりわけ城戸家に残る宿札には、島津久光(薩摩)や鍋島閑叟(佐賀)といった幕末維新を動かした名君の名が記され、実在の大名がこの地に立ち寄った確かな証拠となっています。建物こそ残りませんが、宿場の歴史を物語る大切な場所です。
すぐ近くには、宿場の出入口の石積みが残る市指定文化財「青柳宿西構口跡」や、宿場全体を紹介する「青柳宿」があります。あわせて歩くと、唐津街道の宿場町の面影をより深く感じられます。古賀市立歴史資料館には青柳宿の街並みに関する展示もあります。
