首なし塚
伝承地歴史
戦国の世、この地で最期を迎えた武将の亡骸(なきがら)を、地元の人々が手厚く弔ったと伝えられる塚です。
この史跡について
首なし塚は、戦国時代の武将・立花鑑載(たちばな あきとし)の最期にまつわる塚と伝えられています。永禄11年(1568年)、立花城の城主であった鑑載は大友氏に反旗をひるがえしましたが、三か月におよぶ攻防の末に城は落ち、青柳の松林で自ら命を絶ったと伝わります。首は検分のため豊後(ぶんご=現在の大分県)へ送られ、残された亡骸を地元の人々が手厚く葬ったのが、この塚の起こりと伝えられています。塚は現在、青柳の三柱神社に合祀(ごうし)され、今も地域の人々に大切に守られています。
- 戦国武将・立花鑑載の最期にまつわる伝承の塚
- 現在は青柳の三柱神社に合祀され、地域で守り継がれている
- 唐津街道の宿場町として栄えた青柳の歴史を伝える史跡のひとつ
- 永禄11年(1568年)の立花山城をめぐる攻防に由来する言い伝え
史跡データ
区分古賀市指定外文化財(伝承地)
伝わる時代戦国時代・永禄11年(1568年)ごろ
伝わる人物立花鑑載(立花城の城主)
現在青柳の三柱神社に合祀
立花鑑載の最期については、自ら命を絶ったとする言い伝えのほか、討たれたとする説など複数の伝えがあります。お参りは合祀先の三柱神社(青柳町739-1)へどうぞ。
