鹿部田渕遺跡
『日本書紀』が伝える古代九州最大の内乱・磐井(いわい)の乱――敗れた一族が罪をまぬがれるため、ヤマト王権に差し出した「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」。その有力な候補地とされるのが、この鹿部田渕遺跡です。
この史跡について
鹿部田渕遺跡は、花鶴川(かづるがわ)の右岸、鹿部山から西へのびる丘のはしにある福岡県指定史跡です。中心となるのは古墳時代後期(6世紀中頃〜7世紀初頭)の大型の掘立柱(ほったてばしら)建物群で、東西を溝で区切った空間の中に、主要な建物がL字型に規則正しく並んでいます。一般の集落とは異なるこの計画的な配置から、役所(官衙/かんが)としての性格を持ち、川の河口の港を管理する施設だったと考えられています。弥生時代から鎌倉時代までの遺物も見つかった、長い時代にわたる複合遺跡です。
- 主要な大型建物4棟がL字型に規則正しく並び、中央に広場を持つ計画的な配置
- 海に面する側に庇(ひさし)を持つ最大規模の中心建物「建物3」は、政務を執り行う施設と考えられています
- 花鶴川の河口・潟港(かたこう)を管理した役所(官衙)的な施設
- 弥生時代から鎌倉時代まで、長い時代の遺物が出土した複合遺跡
- 古代の「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」の有力な候補地の一つ
史跡データ
指定区分福岡県指定史跡(文化庁の区分は「記念物」)
指定年月日2009年(平成21年)7月31日
時代古墳時代後期(6世紀中頃〜7世紀初頭)を中心とする複合遺跡
規模・構成東西を溝で区画した空間に大型建物がL字型に配置。二×七間の側柱建物、五×八間以上の庇付側柱建物、二×三間の総柱建物2棟(倉庫)ほか、柵列・溝・広場で構成されます。
おもな出土品
須恵器(すえき)・土師器(はじき)古墳時代後期の土器
弥生土器・石器弥生時代中期の遺物
貿易陶磁器(白磁・青磁)鎌倉時代の輸入された焼き物
宋銭(そうせん)・滑石製石鍋(かっせきせいいしなべ)鎌倉時代の銭貨や石でつくられた鍋
この史跡の意義
『日本書紀』には、528年の磐井(いわい)の乱で敗れた筑紫君(つくしのきみ)磐井の子・葛子(くずこ)が、罪をまぬがれるために「糟屋の屯倉(みやけ)」をヤマト王権に献上したと記されています。鹿部田渕遺跡は、この糟屋屯倉の有力な候補地の一つとされ、その根拠として、遺跡の中心年代が屯倉の献上(528年)に近いこと、建物の配置が計画的で役所としての性格を持つこと、川の河口という港の管理に適した立地であることが挙げられます。古代九州の歴史を今に伝える、貴重な遺跡です。
