青柳宿

宿場町歴史

参勤交代(さんきんこうたい)の大名が行き交った、唐津街道の宿場町。福岡藩の御茶屋(おちゃや)が置かれ、幕末には佐賀藩や薩摩藩の大名行列、幕府の巡検使(じゅんけんし)も足を止めた要衝でした。

所在地 古賀市青柳町 ↗地図
見学 唐津街道の道筋に沿って、青柳町一帯を徒歩で散策できます。
アクセス 九州自動車道「古賀IC」から車で約5分。JR鹿児島本線「古賀駅」から徒歩圏内です。
駐車場 専用駐車場はありません。古賀駅前の有料駐車場を利用します。
公式サイト www.city.koga.fukuoka.jp

この史跡について

青柳宿は、慶長10(1605)年に唐津街道沿いに整備された宿場町です。畦町宿(あぜまちしゅく)と箱崎宿(はこざきしゅく)の間に位置し、大名が泊まる御茶屋(おちゃや)が設けられました。幕末には福岡藩や幕府の巡検使のほか、佐賀藩・薩摩藩も参勤交代で利用しました。明治時代の大火で古い建物の多くは失われましたが、道筋や町割りには宿場町の面影が今も残っています。

  • 街道が直角に折れる「鍵の手(かぎのて)」の道筋
  • 市指定文化財の西構口跡(にしかまえぐちあと)に残る石積み遺構
  • 宿場の歴史的景観をイメージした灯篭(とうろう)
  • 当時の町並みを描いた案内看板
  • 各家に受け継がれてきた屋号(やごう)

史跡データ

区分未指定(宿場の町並み全体)

時代江戸時代(慶長10年・1605年整備)〜現代

街道・位置づけ唐津街道の宿場(畦町宿と箱崎宿の間)

この史跡の意義

東西の出入口に「構口(かまえぐち)」を備えた青柳宿は、福岡藩内でも珍しい構造の宿場でした。構口跡が現存するのは、山家宿(やまえしゅく)・木屋瀬(こやのせ)・青柳宿の3か所のみです。参勤交代の大名や旅人、物資が行き交った唐津街道の要衝として、往時の道の形を今に伝えています。

東構口跡付近の為息庵(いそくあん)から、上町の「鍵の手」、横町を経て西構口跡(市指定文化財)へと歩けます。西構口跡や御茶屋跡とあわせて巡る動線が組めます。周辺には色姫(いろひめ)の墓や鹿部田渕(ししぶたぶち)遺跡もあります。