色姫の墓
市指定文化財歴史
戦国の世、宗像(むなかた)と大友(おおとも)——ふたつの家の抗争のなかで人質として差し出され、名将・立花道雪(たちばな どうせつ)の側室(そくしつ)となった姫がいました。実家と嫁ぎ先のいくさに板挟みとなりながら、この青柳(あおやぎ)の地で静かに生涯を閉じた女性の墓が、今も清水(しみず)家の裏庭に伝えられています。
この史跡について
色姫(いろひめ)は、筑前国宗像郡(ちくぜんのくに むなかたぐん)を治めた戦国大名・宗像氏貞(むなかた うじさだ)の妹です。宗像家と大友家が和睦した際に人質として立花道雪(たちばな どうせつ)のもとへ送られ、やがてその側室(そくしつ)となりました。立花山城の松尾丸(まつおまる)に住んだことから「松尾殿(まつおどの)」と呼ばれ、道雪の家中で高い地位を得ていたと伝えられます。晩年は青柳石瓦(あおやぎ いしがわら)に移って仏門に帰依し、天正12年(1584年)にこの地で世を去りました。墓は、色姫に付き従った清水家が代々守り伝えてきました。
- 宗像氏貞(むなかた うじさだ)の妹で、名将・立花道雪(たちばな どうせつ)の側室となった姫の墓
- 立花山城の松尾丸(まつおまる)に住み、「松尾殿(まつおどの)」と敬われた
- 実家・宗像と嫁ぎ先・立花、ふたつの家の抗争に板挟みとなった生涯
- 高さ約2m・幅約1.5mの大きな墓石で、四行の墓碑銘(ぼひめい)が刻まれている
- 色姫に付き従った清水家が、没後も代々この墓を守り伝えてきた
史跡データ
指定区分古賀市指定文化財(考古資料)
指定年平成2年(1990年)4月27日
時代戦国時代(16世紀後半)
人物宗像氏貞の妹(立花道雪の側室)
この史跡の意義
色姫の墓は、戦国時代の政略のなかを生きた一人の女性の生涯を、今に伝える史跡です。人質から側室となり「松尾殿」として遇された姿は、宗像家と大友(立花)家の関係を映す歴史の証でもあります。夫・道雪、そして義理の子である立花宗茂(たちばな むねしげ)が手厚く弔ったと伝えられ、菩提寺(ぼだいじ)竹龍院(ちくりゅういん)とともに、その物語が地域に受け継がれてきました。
法名(ほうみょう)は「竹龍院妙渭大姉(ちくりゅういん みょうい だいし)」。色姫の最期については、病で世を去ったとする記録と、自ら命を絶ったとする地元の言い伝えの両方が残されています。
