歴史・文化 | コラム
「古賀」という地名は、
どこから来たのか
毎日呼んでいるまちの名前にも、はじまりの物語がある——地名をたどると、駅ができる前の古賀、街道の宿場だった古賀、伝説の浜だった古賀が見えてきます。
「古賀」の語源 ── 三つの説
はっきりとは、分かっていない ── 諸説の層
実は「古賀」という地名の由来は、はっきりとは分かっていません。郷土史研究では、主に次の説が並べて紹介されています。どれが正解と決められないのも、郷土史の面白さです。
古語の「くが(陸)」に由来するという説。「空閑」とも書き、水辺に対する乾いた土地を指します。花鶴川河口の湿地の中で、乾いた「クガ地」に人が住み着き、「クガ」が「コガ」に転じたと考えます。九州に多い「古賀・古閑・古河」の地名とも整合し、有力とする見方もあります。
古代の駅「席打駅」の近くに国衙(国の役所)があった可能性から、「コクガ」が縮まって「コガ」になったという説。ただし裏付けとなる史料は乏しいとされます。
花鶴川の河口一帯が、海とも川ともつかない入江だったことから、その景観を「古河(コガ)」と呼んだことに由来するという説です。
より深くは 第六章 地名と人物 で。
筵内 ── 千百年前の「駅」があった里
いま、約一一〇〇年前 ── 官道の層
古賀市の前身にあたる旧村名「筵内(むしろうち)」は、927年完成の法令集『延喜式』に記された官道の駅「席打駅」に由来します。「席打」とは、むしろ(敷物)を作る職人のこと。この地でむしろ作りが盛んだったことが、そのまま名前になりました。
表記は「席打」→「席内」→「筵内」と移り変わり、明治22年(1889年)には「席内村」が成立。昭和13年(1938年)の町制施行で「古賀町」に改称します。その理由は、先に鉄道の駅が海沿いの「古賀」の地に置かれ、「古賀駅」の名で広く知られていたから——駅の名前が、まちの名前を決めたのです。
青柳 ── 鎌倉からの名と、街道の宿場
いま、鎌倉〜江戸 ── 街道の層
青柳の名は、集落の目印になる青々とした柳の木に由来すると考えられており、鎌倉時代にはすでに「青柳郷」と呼ばれていたことが文献で確認されています。江戸時代には唐津街道の宿場町「青柳宿」が置かれ、慶長10年(1605年)には大名の宿泊施設「お茶屋」が設けられました。福岡藩の領内で門を構えた宿場はわずか3か所——青柳はそのひとつでした。
花鶴 ── 鶴の浜の伝説
いま、約一二〇〇年前 ── 伝説の層
延暦24年(805年)、唐から帰る伝教大師・最澄が暴風雨に遭い、古賀の浜に漂着したと伝えられます。翌朝、静まった海辺に鶴たちが舞う姿を見て、「快哉、花鶴のごとし」——ああ素晴らしい、花のような鶴だ——と感嘆したことから、この地を「花鶴」と呼ぶようになったのだとか。
最澄の帰国は史実ですが、鶴の一件は伝説。それでも花鶴川の河口近くには地元有志による最澄の銅像が立ち、伝説はいまも地域の誇りとして生きています。
SOURCES
出典:古賀郷土史研究会「地名の由来」シリーズ(古賀すたいる掲載・第1回/第8回ほか)、『延喜式』(席打駅)、菜の花の道むしろうち、古賀市公式サイト「古賀の歴史」ほか。諸説・伝説の扱いはリサーチ部のファクトチェック(2026年6月)に基づきます。図版は意匠のイメージです。