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歴史・文化 | コラム

「古賀」という地名は、
どこから来たのか

毎日呼んでいるまちの名前にも、はじまりの物語がある——地名をたどると、駅ができる前の古賀、街道の宿場だった古賀、伝説の浜だった古賀が見えてきます。

諸説あり「古賀」の語源
927年延喜式に「席打駅」
805年最澄漂着の伝説

「古賀」の語源 ── 三つの説

はっきりとは、分かっていない ── 諸説の層

実は「古賀」という地名の由来は、はっきりとは分かっていません。郷土史研究では、主に次の説が並べて紹介されています。どれが正解と決められないのも、郷土史の面白さです。

クガ(陸地)説

古語の「くが(陸)」に由来するという説。「空閑」とも書き、水辺に対する乾いた土地を指します。花鶴川かづるがわ河口の湿地の中で、乾いた「クガ地」に人が住み着き、「クガ」が「コガ」に転じたと考えます。九州に多い「古賀・古閑・古河」の地名とも整合し、有力とする見方もあります。

コクガ(国衙)説

古代の駅「席打駅」の近くに国衙こくが(国の役所)があった可能性から、「コクガ」が縮まって「コガ」になったという説。ただし裏付けとなる史料は乏しいとされます。

コガ(古河)説

花鶴川の河口一帯が、海とも川ともつかない入江だったことから、その景観を「古河(コガ)」と呼んだことに由来するという説です。

MARGIN NOTEまちの成り立ちを想像しながら歩くと、河口の地形も違って見えてきます。
より深くは 第六章 地名と人物 で。
クガ=陸地説国衙説古河説

筵内むしろうち ── 千百年前の「駅」があった里

いま、約一一〇〇年前 ── 官道の層

古賀市の前身にあたる旧村名「筵内(むしろうち)」は、927年完成の法令集『延喜式えんぎしき』に記された官道の駅「席打駅むしろうちのえき」に由来します。「席打」とは、むしろ(敷物)を作る職人のこと。この地でむしろ作りが盛んだったことが、そのまま名前になりました。

表記は「席打」→「席内」→「筵内」と移り変わり、明治22年(1889年)には「席内村」が成立。昭和13年(1938年)の町制施行で「古賀町」に改称します。その理由は、先に鉄道の駅が海沿いの「古賀」の地に置かれ、「古賀駅」の名で広く知られていたから——駅の名前が、まちの名前を決めたのです。

延喜式 927年席打=むしろ作り席内村 1889
927『延喜式』完成。官道の駅「席打駅」の名が記される
MARGIN NOTE古代の道と席打駅の物語は 第一章 古代—中世 でも歩いています。

青柳あおやぎ ── 鎌倉からの名と、街道の宿場

いま、鎌倉〜江戸 ── 街道の層

青柳の名は、集落の目印になる青々とした柳の木に由来すると考えられており、鎌倉時代にはすでに「青柳郷」と呼ばれていたことが文献で確認されています。江戸時代には唐津街道の宿場町「青柳宿」が置かれ、慶長けいちょう10年(1605年)には大名の宿泊施設「お茶屋」が設けられました。福岡藩の領内で門を構えた宿場はわずか3か所——青柳はそのひとつでした。

青柳郷=鎌倉期唐津街道 青柳宿お茶屋 1605
1605青柳宿にお茶屋。街道の宿場としてにぎわう
MARGIN NOTE宿場・青柳宿の三枚の宿札と鉤の手の町並みは 第二章 近世・江戸 で。

花鶴かづる ── 鶴の浜の伝説

いま、約一二〇〇年前 ── 伝説の層

ここから先は、史実ではなく地域に伝わる伝説のお話です。

延暦えんりゃく24年(805年)、唐から帰る伝教大師でんぎょうだいし・最澄が暴風雨に遭い、古賀の浜に漂着したと伝えられます。翌朝、静まった海辺に鶴たちが舞う姿を見て、「快哉、花鶴のごとし」——ああ素晴らしい、花のような鶴だ——と感嘆したことから、この地を「花鶴」と呼ぶようになったのだとか。

最澄の帰国は史実ですが、鶴の一件は伝説。それでも花鶴川の河口近くには地元有志による最澄の銅像が立ち、伝説はいまも地域の誇りとして生きています。

「花鶴のごとし」——鶴の舞う浜(意匠はイメージ)
MARGIN NOTE最澄漂着の伝説は、まちの名「花鶴」として今も生きています。花鶴川は大根川の下流部の呼び名です。

地名は、土地の記憶。
名前の由来をたどれば、暮らしが見えてくる。

SOURCES

出典:古賀郷土史研究会「地名の由来」シリーズ(古賀すたいる掲載・第1回/第8回ほか)、『延喜式』(席打駅)、菜の花の道むしろうち、古賀市公式サイト「古賀の歴史」ほか。諸説・伝説の扱いはリサーチ部のファクトチェック(2026年6月)に基づきます。図版は意匠のイメージです。