KOGA HISTORY VOL.03

古賀の歴史を歩く

第三章 近代 — 現代

明治の鉄道、昭和の国道と高速道路。新しい交通が通るたびに、古賀は姿を変えてきました。村から町へ、そして市へ——今につながる古賀の歩みを、線路をたどるように追います。

村から、町へ。
そして、へ。

鉄道が変えた古賀 — 古賀駅の誕生

いま、約一三〇年前——鉄道の層

古賀KOGA
こが
ちどりふくま
JR鹿児島本線・古賀駅。両隣に千鳥駅と福間駅。

1890年(明治23年)9月28日、九州鉄道の博多駅〜赤間駅間が開通し、古賀駅が開業しました。駅は花見松原はなみまつばらを切り開いて建設されたもの。鉄道が海岸沿いの「古賀」に通ったことで、内陸の集落に代わって、この一帯が新しいまちの中心になっていきます。

九州鉄道は1907年(明治40年)に国有化され、1987年(昭和62年)にJR九州へと引き継がれました。

九州鉄道花見松原を開いて鹿児島本線
1890古賀駅 開業(明治23年9月28日)
MARGIN NOTE駅は花見松原を切り開いて建設された。海沿いに駅が来たことで、まちの重心は内陸から海側へ移った。
  • 1890年古賀駅 開業
    (明治23年)
  • 1907年九州鉄道が国有化
  • 1987年JR九州へ継承

村から町、そして市へ

いま、一〇八年の層——村から市へ

1889年(明治22年)の町村制施行で席内村むしろうちむらが成立。1938年(昭和13年)に町制を施行して「古賀町」となります。

1955年(昭和30年)には古賀町・小野村・青柳村が合併して新しい古賀町となり、1997年(平成9年)10月1日、市制を施行して「古賀市」が誕生しました。村から数えて、108年の歩みでした。

席内村→古賀町→古賀市三町村合併(1955)
199710月1日、市制施行。村から数えて108年
MARGIN NOTE「席内(むしろうち)」は古代の駅家「席打」に通じる地名。名は千年を越えて受け継がれた。
席内村1889(明治22)町村制古賀町1938(昭和13)町制新・古賀町1955(昭和30)三町村合併古賀市1997(平成9)市制
村から市へ——108年の歩み(模式図)

道路網の時代 — 国道3号と九州自動車道

いま、昭和の層——クルマが結ぶ

昭和に入ると、古賀は道路交通の要衝にもなります。国道3号は1952年(昭和27年)に一般国道として指定され、香椎バイパス区間は1970年(昭和45年)に暫定開通。

九州自動車道は1975年(昭和50年)3月13日に鳥栖ジャンクション〜古賀インターチェンジ間が開通し、古賀ICの供用が始まりました。1977年(昭和52年)には若宮IC〜古賀IC間が開通し、北九州方面と結ばれます。

  • 1952年国道3号 一般国道に指定
  • 1975年九州道 鳥栖JCT〜古賀IC 開通
  • 1977年若宮IC〜古賀IC 開通
19753月13日、鳥栖JCT〜古賀IC開通
MARGIN NOTE高速道路の古賀SAは「九州の玄関」。下り線で九州最初、上り線で九州最後のSAにあたる。
下り線 ─ 九州最初のサービスエリア
上り線 ─ 九州最後のサービスエリア

古賀サービスエリアは「九州の玄関」の位置にある

増える駅、広がるまち

いま、平成の層——三つ目の駅

鉄道の駅も増えました。1991年(平成3年)9月30日に千鳥駅が、2009年(平成21年)3月14日にししぶ駅が開業。市内はJR鹿児島本線の3駅を持つまちになりました。

千鳥駅 1991ししぶ駅 2009JR 3駅
3市内のJR鹿児島本線の駅数
MARGIN NOTE古賀駅の開業から119年をかけて、千鳥・ししぶが加わった。まちの広がりが、駅の数になった。
← 博多方面小倉方面 →(福工大前)ししぶ駅2009(平成21)千鳥駅1991(平成3)古賀駅1890(明治23)(福間)

JR鹿児島本線・市内3駅(模式図)

同じ道を、選び続ける土地

いま、地形の層——変わらぬ回廊

古代の官道・西海道。江戸の唐津街道。明治の鉄道。昭和の国道と高速道路。これらはすべて、東の犬鳴山系と西の玄界灘に挟まれた、同じ回廊を通っています。

地形が変わらない限り、古賀は「人が通り、集まる場所」であり続けます。

MARGIN NOTEこの回廊の物語は、第一章 古代—中世第二章 近世・江戸で歩いてきました。三つの時代が、ここでつながります。
玄界灘犬鳴山系西海道(古代)唐津街道(江戸)鉄道(明治)国道・高速(昭和)
四つの時代の道が、同じ回廊に並ぶ(模式図)

今の古賀

いま、地表——現在地の層

古賀市は福岡市から北東へ約15km、面積42.07平方キロメートル。人口は約58,963人(2026年5月末現在)。海と山にはさまれた暮らしやすいまちとして、今も歩み続けています。

市の花はコスモス、市の木はクロガネモチ

MARGIN NOTE古代の官道から令和の高速まで。同じ回廊の上で、古賀はいまも「人が通り、集まる場所」であり続けている。
  • 42.07km²市の面積
  • 約58,963人人口(2026年5月末現在)
  • 3駅JR鹿児島本線
    (古賀・ししぶ・千鳥)

新しい道が通るたび、
まちは姿を変えてきた。

村から町へ、町から市へ。古賀の近代から現代は、新しい交通とともに歩んだ歴史でした。古代から続く「人が通る道」の上で、古賀はこれからのまちをつくっていきます。

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SOURCES

本文の事実関係は、リサーチ部の研究データおよびファクトチェック(2026年6月)を経た歴史ブリーフの原稿に基づき、その範囲内で構成しています。人口は古賀市公表値(2026年5月末現在)。図版はいずれも模式図です。