KOGA HISTORY VOL.04

古賀の歴史を歩く

第四章 食と産業のまち

古賀は「食のまち」です。食料品の製造品出荷額は福岡県内で第2位(平成27年)。けれどその土台は、最近できたものではありません。江戸時代の養鶏文化から現代の食品工業まで——海と山の恵みに支えられた「食」の物語、三〇〇年分をたどります。

土地が、
を育てた。

庭で飼う「にわやさい」

いま、約三〇〇年前——味の源流の層

古賀・宗像周辺では、鶏を「にわやさい(庭野菜)」と呼んだと伝えられます。庭先で、野菜のように身近に飼われていたのです。その背景にあるのが福岡藩の養鶏政策。享保きょうほうの大飢饉(1732年)を背景に、藩は天候に左右されにくい鶏卵に注目し、「鶏卵仕組(けいらんしくみ)」という専売制度をのちに導入します。鶏卵は「筑前卵」としてブランド化され、大坂方面へ出荷されたと伝わります。

古賀周辺には、水はけのよい丘陵地・温暖な気候・米作りの副産物(くず米や糠)という、養鶏に適した条件が揃っていました。

にわやさい筑前卵として大坂へ丘陵地+温暖+くず米
1732享保の大飢饉が、天候に強い鶏卵への転換を促した
MARGIN NOTE「鶏卵仕組」は藩の専売制度。鶏を庭の“野菜”のように飼う暮らしが、のちの食品工業の土壌になりました。

古賀流「鶏すき」

いま、祭りとハレの日——食卓の層

鍋一面の砂糖に、甘口醤油が飴色にとける

盆や正月、祭りやお祝い事——人が集まる日には、庭先の鶏を絞って食卓を囲みました。古賀流の鶏すきの特徴は、その順序にあります。九州が砂糖と甘口醤油の文化圏であること、骨ごとぶつ切りにする家庭料理の実用性が、この味を生みました。骨から出る出汁が、鍋全体の味を深めます。

  1. 鍋一面に砂糖を敷くまず甘みの土台から
  2. 骨付きの鶏を焼くぶつ切りを豪快に。骨の出汁が味の芯に
  3. 甘口の醤油を加える九州ならではの甘辛い飴色に
  4. 〆はそうめん煮汁を吸わせて最後の一口まで

海の幸、山の水、丘の実り

いま、土地そのもの——恵みの層

古賀の「食」を支えるのは、特定の名産ひとつではありません。海・水・丘——三方向からの恵みが重なって、この土地の豊かさをつくっています。

MARGIN NOTE対馬海流の暖流・犬鳴山地の清水・水はけのよい丘。第三章で見た「同じ回廊」の地形が、そのまま食の条件でもありました。
玄界灘の恵み

対馬海流(暖流)の豊かな漁場に近く、春のマダイ、冬のブリやトラフグ。江戸期から続く「吾智網(ごちあみ)漁」など、潮と海底を読む漁法が育ちました。

米と水のまち

大根川と中川の扇状地に、江戸期から多くのため池。その水利は現代に続き、1971年着工・1975年竣工の古賀ダムが農業用水と生活用水を支えます。

丘がはぐくむ柑橘

水はけのよい丘陵は柑橘にも好適。古賀特産「山見阪ネーブル」は12月初旬から穫れる早生で香り高く濃厚。デコポンやみかん狩り農園も。

海岸を守る、緑の壁

いま、約三二〇年前——藩が植えた層

古賀海岸には、約2kmにわたる松林が広がります。これは福岡藩(黒田藩)の藩政時代、宝永ほうえい3年(1706年)と元文げんぶん3年(1738年)の2回、砂防のために計画的に植えられたもの。玄界灘からの強い季節風や塩害から背後の農地と集落を守る「緑の壁」として、古賀の農業を支えてきました。白い砂浜と青い松——「白砂青松」の景観も、ここから生まれています。

玄界灘季節風・塩害松林 約2km農地
玄界灘の風と塩害を、約2kmの松林が受け止める。「緑の壁」が背後の農地を守り、白砂青松の景観を生んだ。
1706宝永3年、砂防のための計画植林。元文3年(1738)に二度目
MARGIN NOTE藩が「壁」を植えたのは防災事業。その緑陰が農地を守り、いまは散歩道に。防災と景観は、はじめから同じものでした。
約2km計画植林 2回白砂青松

「食のまち」へ — 食品工業の集積

いま、地表——現代の層

現代の古賀には100社を超える製造業者が操業し、約8,100人が働いています。食料品の製造品出荷額は福岡県内で第2位(約1,203億円・平成27年)。これは単なる企業誘致の成果ではありません。犬鳴山地由来の豊富で清浄な水、玄界灘の水産物や地元の農産物、そしてJR・国道3号・九州自動車道という交通の便——風土の条件が揃っていたからです。

  • 約1,203億円食料品の製造品出荷額
    (平成27年・県内2位)
  • 100社超操業する製造業者
  • 約8,100人製造業で働く人

1706松林の植林1732大飢饉→養鶏江戸期鶏すき・吾智網1975古賀ダム竣工現代食品工業の集積

300年つづく「食」の系譜。養鶏文化から食品工業まで、途切れずに
MARGIN NOTE「食のまち」は誘致の結果ではなく、水・海・丘・交通という土地の条件の帰結。三〇〇年前と同じ土台の上に、いまの工場が建っています。

山の水、海の幸、丘の実り。
古賀の食は、土地が育てた。

鶏すきの食卓から、県内2位の食品産業まで。人が行き交う交通とあわせて、古賀の「食」はこの土地そのものが育ててきました。古賀は、これからも「食のまち」であり続けます。

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SOURCES

本文の事実関係は、リサーチ部の研究データおよびファクトチェック(2026年6月)を経た歴史ブリーフの原稿に基づき、その範囲内で構成しています。食料品出荷額・県内順位は平成27年(2015年)工業統計時点の値。鶏卵仕組の制度化年は一次資料未確認のため断定していません。図版は模式図です。