KOGA HISTORY VOL.05

古賀の歴史を歩く

第五章 神社・祭り・史跡をめぐる

海と山にはさまれた古賀には、古くからの祈りの場と、受け継がれてきた祭りが息づいています。神社をめぐり、祭りに触れ、史跡を歩く——弥生の祭祀から今も続く放生会まで、古賀の信仰と暮らしの記憶を、ひとつずつたどります。

祈りの記憶を、
く。

五所八幡宮 ― 五柱をまつる青柳の古社

創建 鎌倉時代・約800年前 ── 祈りの層

唐津街道の要所・青柳に鎮座する古社。創建年は不詳ですが、鎌倉時代にはすでに存在したと伝わります。御祭神は應神天皇おうじんてんのう神功皇后じんぐうこうごう玉依姫命たまよりひめのみこと保食神うけもちのかみ・住吉三神の5柱——「五所」はこの5柱に由来します。

伝承神功皇后が三韓征伐さんかんせいばつの際に龍輿りゅうよを休めた場所との言い伝えがあり、明応2年(1493年)の棟札が今も残ります。境内には、社伝で樹齢約1000年とされる大楠がそびえ、街道をゆく旅人を千年の緑が見下ろしてきました。

御祭神5柱唐津街道・青柳大楠 樹齢約1000年

五所八幡宮のスポット情報 →

社伝で樹齢約1000年とされる大楠(意匠はイメージ)

1493明応2年の棟札が現存する
MARGIN NOTE「五所」は五柱の神をまつることに由来します。神功皇后が龍輿を休めた地との伝承が、そのまま社の名に重なっています。

皇石神社 ― 巨石をいただく、弥生からの祭祀地

祭祀 弥生時代から ── 祈りの層

神体は、平たく巨大な立石伝承神功皇后が「新羅を征する力があれば、この大石を抱え起こせる」とうけい誓約をしたと伝わり、これが社名の由来です。享禄きょうろく3年(1530年)の棟札では「大石大明神」と呼ばれ、文政ぶんせい3年(1820年)に「皇石」へと改められました。

明治31年(1898年)には神殿後方の甕棺かめかんから銅剣・銅戈が出土。この地が弥生時代から祭祀の場であったことを物語ります。社は鹿部山ししぶやまに由来し(銅戈は市指定文化財「鹿部山皇石神社境内出土銅戈」)、現在は美明に鎮座しています。

神体は立石銅剣・銅戈が出土文化財=鹿部/参拝=美明

皇石宮のスポット情報 →

甕棺から出た銅剣・銅戈(意匠はイメージ・うっすらと緑青)

1898明治31年、甕棺から銅剣・銅戈が出土した
MARGIN NOTE「大石大明神」から「皇石」へ——名は変わっても、巨石を神とあおぐ祈りは弥生の昔から途切れていません。

古賀神社 ― 葵の手水鉢と、縁むすび

合祀 1952年 ── 四社が重なる祈りの層

昭和27年(1952年)、浦口うらぐち神社など4つの神社を合祀して成立しました。いちばんの見どころは「ハート型の手水鉢」天明てんめい9年(1789年)、天明の大飢饉の終結を受けて「二度と飢饉が起きないように」と祈りを込めて作られたもので、その形は神聖な植物とされる「葵の葉」を模しています。

周囲には子宝祈願の痕跡とされる盃状穴はいじょうけつが約120か所。葵の葉がハートに見えることから、近年は縁結びのスポットとしても親しまれています。

葵の手水鉢盃状穴 約120か所縁結びの名所

古賀神社のスポット情報 →

葵の葉を模した手水鉢(意匠はイメージ)——水面がかすかに揺れる

1789天明9年、飢饉の終結を祈って作られた
MARGIN NOTE飢饉が二度と来ないよう——祈りを込めた鉢の形が、いまは縁を結ぶ形として親しまれています。

天降神社 ― 「あまふり」は、雨降りに通じる

鎮座 724年 ── 雨を呼ぶ祈りの層

神亀じんき元年(724年)に鎮座したと伝わる、薦野こもの米多比めたび地区の氏神。農耕や医薬の神々をまつり、社名「天降あまふり」は「雨降り」に通じるともいわれます。田畑をうるおす雨への祈りが、社の名にこめられています。

本殿にほどこされた竜の彫刻は、市の文化財に指定されています。水を司る竜と、雨を呼ぶ社名——この地に生きた人々が、天からの恵みをどれほど待ち望んだかがうかがえます。

社名=雨降り竜の彫刻・市文化財薦野・米多比の氏神

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本殿の竜と、細い雨脚(意匠はイメージ)

724神亀元年、鎮座したと伝わる
MARGIN NOTE竜は水をつかさどる神獣。雨に通じる社名と本殿の竜が、農の暮らしを支えた祈りを今に伝えます。

受け継がれる祭り ― ひとつのまちに、三つの放生会

いま、夏から秋へ ── 受け継ぐ祈りの層

命をいつくしみ、実りに感謝する放生会ほうじょうえは、古賀市内の3か所で行われます。ひとつのまちに3つの放生会——この行事が、古賀に深く根づいていることの証しです。

夏には五所八幡宮の茅の輪ちのわくぐり、盆には市の無形民俗文化財「谷山の盆綱」。夏から秋へと移る祭りの暦を、日付とともにたどってみましょう。

MARGIN NOTE日程は年によって変わることがあります。おでかけの前に、各行事の詳細ページで最新情報をご確認ください。

色姫の墓 ― 戦国の政略結婚を伝える

1584年 ── 戦国の記憶の層

戦国時代の女性・宗像色姫むなかたいろひめの墓。色姫は宗像氏貞むなかたうじさだの妹で、宗像氏の敗戦後、人質として立花道雪たちばなどうせつ戸次道雪べっきどうせつ)の側室となりました。

古賀の青柳村石瓦いしがわらで暮らし、天正てんしょう12年(1584年)に38歳で世を去り、この地に葬られました。平成2年(1990年)に古賀市の指定文化財となり、戦国時代の政略結婚の実態を今に伝えています。

宗像氏貞の妹立花道雪の側室1990年 市指定文化財

色姫の墓のスポット情報 →

1584天正12年、38歳でこの地に世を去る
MARGIN NOTE敗れた一族の姫が、人質として敵将の側室に。青柳石瓦の小さな墓が、戦国という時代の重さを静かに伝えています。
結の前に

史跡を、あわせてめぐる

いま、まち全体 ── 歴史がつながる層

古賀には、ここまでの神社のほかにも歩いて訪ねられる史跡があります。神社と史跡をあわせてめぐれば、古賀の歴史が立体的に見えてきます。

MARGIN NOTE船原古墳と糟屋屯倉の物語は、第一章 古代—中世で詳しく歩いています。

幾重にも重なる祈りが、
いまも息づいている。

弥生の祭祀から、神功皇后の伝承、中世の信仰、そして今も続く祭りまで。古賀の神社と祭りには、海と山に生きる人々の祈りが幾重にも重なっています。実際に足を運んで、その記憶に触れてみませんか。

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SOURCES

本文の事実関係は、リサーチ部の研究データおよびファクトチェック(2026年6月)を経た歴史ブリーフの原稿に基づき、その範囲内で構成しています。創建・由来は社伝・伝承として記載し、断定していません。皇石神社は、文化財「鹿部山皇石神社境内出土銅戈」=鹿部側、参拝地=美明側を区別しています。祭りの日程は年により変わる場合があるため、各行事ページの最新情報を優先してください。各エンブレム・図版は意匠のイメージです。